ドイツ ベルリン市街とベルリンの壁




ドイツ、ベルリンに着きました。

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大寒波の影響による寒い日々、続いております。。

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ベルリン大聖堂は114mの高さ。

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堂々とたたずむ国会議事堂。

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1868年に城壁が取り壊されるまでベルリンは星型要塞に囲まれた城郭都市でした。ブランデンブルク門は18箇所あった都城の門のひとつ。

街のいたるところにベルリンの壁の跡があります。

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壁についてまったく知らなかったので調べてみました。

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第二次世界大戦で敗戦したドイツはアメリカ、イギリス、フランス、ソ連に占領されます。

ソ連はベルリンの東側を占領。他3国は残りのドイツを占領。

ソ連は社会主義国、残りの3国は資本主義国。そのため、ひとつの市であるベルリンは東と西に分かれてしまいます。

社会主義国となった東ドイツは西ドイツに比べて自由がなく、西ドイツに亡命する人が跡を絶たなくなりました。

そこで1961年、壁が造られました。

 

その後、ハンガリーがオーストリアとの国境を、パスポートを持参していれば行き来できるようにします。

ハンガリーは社会主義国だったので、東ドイツとハンガリーの行き来ができます。

東ドイツ人は、ハンガリーに行ってからオーストリアを抜け、西ドイツに行けると考え、逃亡する人が殺到。

 

残った東ドイツ人も大規模なデモを頻発。

そして1989年、壁は崩壊に至ります。

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ソ連はその後にロシアやウクライナ、ベラルーシやバルト3国等々の国に分裂しました。

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現在、残っている壁の一部は『イーストギャラリー』としてたくさんの絵が描かれています。

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東ドイツの首相と西ドイツの首相がキスをしている有名な絵。

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これは壁の裏側。イタリアからきた新婚さんと一緒にみて歩きました。

ここはテロのトポグラフィー。

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1987年にベルリン市制750周年の一環として、「テロ・トポグラフィー」と題した展示場が造られました。

これはナチス時代にゲシュタポ(秘密警察)、SS(親衛隊)本部があった場所で、ナチスの時代がパネルで展示されています。

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この展示場に沿って残っている壁の一部。

 

「ドイツの歴史的責任を認めることがドイツという国の自己理解の一要素である」

過去を思い出すのがつらくても後世に伝えることが大事なんですね。

高さ368mのテレビ塔。

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東ベルリンだった地区に建てられています。夜はライトアップされてキレイ。









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ABOUTこの記事をかいた人

Anna

現役看護師Annaです。仕事をしながら、時には辞めて数ヶ月から1年休んで旅に出て、10年かけて世界一周しました。現在は子育てに励んでいます。旅と子育てについてのブログを随時更新していきたいと思います。