第二次世界大戦中に
ヒトラー率いるナチ政権が国家をあげて人種差別的な政策を掲げ
大量虐殺があった場所。
それはポーランドにあります。
ドイツ語名ではアウシュビッツ、ポーランド語名でオシフィエンチム。
ユネスコは、二度とこのような過ちが起こらないようにと願いを込めて、「負の世界遺産」として認定しました。
博物館は無料。日本語のパンフレットは5ズォッティ(約125円)です。
正門には「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」のプレート。
収容されたのはユダヤ人、政治犯、ロマ・シンティ(ジプシー:ヨーロッパで生活している移動型民族)、精神障害者、身体障害者、同性愛者、捕虜、聖職者などです。その中にはポーランド人、ハンガリー、チェコ、フランス、イタリア、ドイツ人もいまいた。
囚人管理のため管理番号を刺青。
一つ一つの収容所は現在博物館として利用されており、この5号棟は「犯罪証拠」の展示がされていました。
その中にあった7tもの髪の毛はマットや布地の材料として使われていたそうです。
約8万足の靴。こんなにたくさんの人が殺されたと思うとつらくなった。
ガス室で使われたチクロンBの空き缶。
1923年に殺虫剤として開発されたものでした。
「32分で800名の処刑が可能であった」と記録されています。
ガス室。中に入った人間は15~20分の間に窒息死したそうです。
10号棟と11号棟の間には銃殺刑を執行するための「死の壁」
鉄条網が二重に張り巡らされています。収容所だった当時は高圧電流が流れていました。
アウシュビッツ第二強制収容所は隣接する都市ブジェジンカ村、ポーランド語名でビルケナウに作られました。
ビルケナウの入り口、「死の門」から続く線路
第二強制収容所の総面積は1.75平方キロメートル。東京ドーム約37個分。
ガス室と焼却炉の跡。
ナチス政権下犠牲者の国際慰霊碑慰霊碑
約150万人が亡くなったとされています。
みているのがつらかったホロコーストの現実。
しかしこの日は最高マイナス7度、最低マイナス20度といわれた日で、寒くて自分も凍え死ぬかと思いました。。