イスラエル イブラヒムおじいちゃんとパレスチナ Ibrahim Peace House & Parestine




エルサレムはイスラム、ユダヤ、キリストの3つの宗教の聖地でもあり、もともと人々は共存しあっていました。

しかしイスラエルとパレスチナの問題は現在も続いています。

この問題について取り組んでいる方々の一人、それがイブラヒムおじいちゃんです。

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【イブラヒムおじいちゃんの家】はドネーション(寄付金)でまかなわれています。

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ホステルではないのですが、泊まることができます。

そしてここに来るとイブラヒムさんのお話が聞けます。

彼はパスポートなしにいろんな国を訪問しているのだと。

パスポートがなくても大丈夫なのは、’招待されている’からなんだとか。すごい。

しかし彼が発する言葉は

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お腹いっぱい食べてイブラヒムさんの明るい声と笑顔に元気をもらいました。お手伝いのアネストさん(USA)もとってもいい人でした。

冬は水シャワーでちょっと寒いですが、心温まる場所です。

【パレスチナ問題】

簡単に言うと、パレスチナ地区がアラブ人(パレスチナ人)のものなのか、亡国の民ユダヤ人(イスラエル)のものなのかという紛争です。

パレスチナはイスラエルとヨルダン、エジプトに挟まれた狭い地域です。

もともとはこの全体をパレスチナと呼んでいました。

アラブ人が住んでいましたが、アラブとユダヤの二つの国に分割しようというのが国連のパレスチナ分割決議で、1947年に国連総会で採択されました。

迫害や大虐殺の悲劇に見舞われたユダヤ人のために安住の地を建設しようというアメリカやイギリスの意向を受けたものです。

そして1948年ユダヤ人国家・イスラエルが独立を宣言。

しかし、アラブ側はこれを認めず、第1次中東戦争が勃発しました。

アラブはエジプトやシリア、イラクなど5か国。

対するイスラエルは独立当時の人口はわずか80万人で、アラブの楽勝かと思われましたが、イスラエルが勝利し、パレスチナ全体の75%を支配下に置きました。

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パネルを見るとわかりやすいのですが、徐々にその地域は縮小。

(緑の部分がパレスチナ地区)

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行き来はこのゲートを通ります。

パレスチナ地区に住むアラブ人はとっても優しい。

もしエジプトに行くとしたら、一度ヨルダンに行き、ヨルダンから飛行機に乗るんだって。

イスラエルのテルアビブにも空港はあるけれど、そこはイスラエル地区だから入れない。

今までに2回しかこの地区を出たことがないと話した彼は28歳。

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Free palestine と書かれた壁

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雲の上からのはしご。

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パレスチナ側の車には‘P’のマーク。

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イスラエル側の車は黄色のナンバーだそうです。

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子供の笑顔って本当に癒し。

ちなみにここ、パレスチナ地区にはイエス・キリスト生誕教会があります。

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この星が書かれた場所で生まれたみたいです。

聖書では馬小屋と書かれていますが・・・

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死海に一緒に行ったメンバーでランチ。

パレスチナ地区は物価が安いです。パレスチナの料理「タイジーン」(チキンとライスと野菜の煮込み)は20シュケル(約400円)。イトウさんはビールが飲めてほんとう幸せそうでした合格









ABOUTこの記事をかいた人

Anna

現役看護師Annaです。仕事をしながら、時には辞めて数ヶ月から1年休んで旅に出て、10年かけて世界一周しました。現在は子育てに励んでいます。旅と子育てについてのブログを随時更新していきたいと思います。